T氏のすべらないコラム

ヘボン式のすすめ

2017年4月

ジャーナリストの筑紫哲也氏がローマ字表記の名簿で自分の名前を発見できなかった体験を語ったことがある。名簿はアルファベット順になっており、筑紫氏は「チクシ」だから、'C' の項を探したが、見つからない。何らかの手違いで漏れているのかと思い、その場はあきらめた。後でわかったところ、'C' ではなく 'T' の項に入っていたという。当人が思っていた 'Chikushi' ではなく 'Tikusi' と表記されていたのだ。前者はヘボン式、後者は訓令式と呼ばれる表記法だ。小学校で教わるのは訓令式だが、旅券の氏名表記、地名、駅名の看板等一般的に多く使われているのはヘボン式の方だ。日本の小学生にとっては五十音に則った訓令式の方が覚えやすいだろうが、外国人が実際の音を正確に推測できるのはヘボン式だから、用途別に採用されているといっていい。

ヘボン式の考案者は、幕末から明治中期まで日本で活動した米国人医師ジェームス・カーティス・ヘボンだ。生麦事件で負傷者を治療し、明治学院の創設者となったこの人物、日本史ではヘボンとしてその名を残すが、英語の綴りは James Curtis Hepburn で、現在ならオードリー、キャサリンの両女優と同じく、「ヘプバーン」と呼称表記されたはずだ。神戸のメリケン波止場(米国領事館近くにあったことから American より命名)もそうだが、当時のカタカナ語は現在よりも原音発音に近かったことがわかる。

映画「パルプ・フィクション」で登場人物が披露したことでも知られる米語ジョーク "Three tomatoes are walking down the street- a poppa tomato, a momma tomato, and a little baby tomato. Baby tomato starts lagging behind and Poppa tomato gets really angry, goes over to the baby tomato, and smooshes him... and says, 'ketchup!'" 「お父さんトマトとお母さんトマト、そして赤ちゃんトマトが道を歩いていくうちに赤ちゃんトマトが遅れだし、激怒したお父さんトマトは赤ちゃんトマトのところに行き、赤ちゃんトマトを踏み潰して言う、『ケチャップ!』」――かわいそうに赤ちゃんトマトは踏み潰されてケチャップになったというわけだが、米語では ketchup と catch up は同じ発音なので(英国式発音だと異なる)、Catch up! 「追いつけ!」と言って踏みつけたらケチャップになったという洒落になっている。

カタカナ表記だと、catch up は「キャッチアップ」で、「ケチャップ」とは随分違い、この洒落はわからない。ローマ字は小学校で訓令式を教わるにも関わらずヘボン式の方がおなじみのようだが、カタカナ語の方は原音発音から遠ざかっている。カタカナ語には「フライングゲット」「キャッチコピー」といった和製英語もあり、英語学習には弊害が多いといえる。カタカナ語もヘプバーンをヘボンとするような'ヘボン式'にしてはどうだろうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

クイズ

今月のクイズ(正解は5月号に掲載)

  1. 史実ではヘボンが執刀した歌舞伎役者の足切断手術を日本人の主人公が行うという設定のTVドラマ化もされた漫画は?
  2. 映画「パルプ・フィクション」で cath up と ketchup の洒落を披露する登場人物ミア・ウォレスを演じたのは?
  3. AKB48の楽曲「フライングゲット」ミュージック・ビデオの監督は?

3月のクイズ正解

  1. 項羽と劉邦
  2. アムステルダム
  3. 香川京子

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