T氏のすべらないコラム

◆ルールあれこれ

2012年10月

かつてアントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」と銘打った試合をやっていたが、当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの試合で露呈したように、ルールの異なる格闘技が優劣を競うのは難しいのが現実だ。故梶原一騎原作の劇画に剣道とフェンシングが対抗試合をやるエピソードがあるが、いくら同じ剣を扱う闘技とはいえ、ルールが全く異なるから、現実には試合など成立しないだろう。

同じ梶原一騎原作でアニメ化もされた「タイガーマスク」は、実際のレスラーが虎の仮面を被って現実化しているが、中でも1980年代前半に出現した初代タイガーマスクは一大ブームを巻き起こしている。このとき実況していた古舘伊知郎氏が「タイガーマスクの空中4次元殺法」とやり、上司から「この世界は3次元がルールだろ」と注意されたという話がある。

このルールは絶対だが、SFの世界では凌駕も可能になる。広瀬正作「マイナス・ゼロ」もそのひとつだが、この小説でタイムマシンに乗り込んだ主人公は時空をセットする時に過ちを犯す。タイムマシンで使用される数字が十進法ではなかったのだ。十進法ルールは当然のように思うが、現実でも時計は12進法と60進法で、我々はそれを苦もなく使いこなしているから、ルールに慣れ親しむ、習慣化するのは簡単なのかもしれない。

ルールは自ら作ることもある。映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」ではミュージカル「王様と私」の挿入歌が主人公の人生を象徴する。「王様と私」は、故ユル・ブリンナーの当たり役で、映画でも主人公がこの俳優を話題にする。そこで、メリル・ストリープ演じるサッチャーが gipsy という言葉を遣うのだが、字幕では「彼はロマ族の出身」となっていた。これでは中森明菜の歌も「ロマ族・クイーン」になるのかとメディア関係者に確認したら、あくまで自主ルールで、音曲名や歌詞には影響しないとのことだった。

「王様と私」はユル・ブリンナー以外の俳優も演じているが、日本のある俳優はこの役を演じるとき、必ず頭を丸める。これは奇異で、ユル・ブリンナーは確かに坊主頭だったが、役のタイの王様は、別に坊主頭という設定ではない。しかし、これもサッチャーの台詞に彼女の父親の言として「思想があり、それが行動になり、行動が習慣化し、その人の人格になり、それが運命になる」と語る場面があるのだが、そう考えれば「ユル・ブリンナーのように演じたい」という思想(思い)が「坊主頭になる」という行動になり、それが習慣化しているのだろう。自主ルールから運命が生れることもある。

今月のクイズ(正解は来月号に掲載)

  1. 梶原一騎の代表作とされる「あしたのジョー」は連載誌にすでに梶原一騎名義で「巨人の星」があったため、別名義での発表となったが、その名前は?
  2. 中森明菜のデビュー曲は?
  3. 坊主頭で王様を演じる日本人俳優は(「余の顔、見忘れたか?」)

先月のクイズ正解

  1. 石川ひとみ
  2. 石原真理子(現在は石原真理)
  3. ハマグリの固ゆで、固むき(固ゆでしたものを剥き身にする意で、傾き」の強引な?洒落)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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